越中米騒動と焼酎(甲類)の密接な関係を御存知でしょうか?
甲類とは、無味無臭に近いもの。詳細は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E9%85%8E
大正7年7月23日、北海道への米輸送船が魚津に寄港した際、
米価高騰に苦しむ漁師の主婦ら数十人が、米の積出しを中止するよう要求、
米殻商にも中止を求め、27〜8日に東岩瀬で、8月2日に泊で哀願の動きがあり、
高岡でも米小売商が大商人の貯蔵米の売渡しを迫った。
8月3日、西水橋で300人、4日に東水橋で700人が地主・米殻商宅へ
廉売や搬出中止を求めて集まり、大騒動となる。
6〜8日にかけ滑川と水橋の主婦らが合流し2000人の群衆が大米殻商を襲ったり、
船への積出しを阻止するなど騒動を起こし、警官と対峙。
「越中女一揆」として報道され全国へと発展…内閣総辞職に追い込んだ。
(魚津市立 歴史民族資料館・郷土館より)
そして米騒動の喧騒後…甲類焼酎は米を使わない酒として注目され、
大正始めに数社だったメーカーも大正8年に65社まで増加し、昭和10年から12年にかけて
戦前の焼酎生産が最高潮。甲類は乙類の約2倍になるまで増産されました。
(しかし日中、太平洋戦争で酒は配給制が始まり統制を強いられるます。)
甲類はカクテル用の安価な焼酎だけではありません。